今年も、あっという間に二月だった。
一時は精神的に参っていた久志だったが、結局は食っていくために賞金稼ぎを再開した。
小夜子が、相変わらず情報をくれる。彼女がどうやって情報を調べているかは知らないが、久志にとってありがたい存在なのは間違いない。
今日も、もらった情報を元にして大物賞金首を待ち伏せ中だ。
ゲロと小便の臭いがする裏路地で、一日中待ちぼうけだ。
賞金額五十万円のことを考えれば、多少のことは屁でもない。
いつもより比較的寒さの穏やかな冬だったが、二月に入ってからは一気に気温も下がり、例年以上の冷え込みを記録していた。
早く来いよなぁ。
四角い寒空を見上げながら、久志はたまらずに愚痴をこぼした。
現れたら、有無も言わさずに斬るつもりでいた。
気付かれて、下手に抵抗されると厄介だ。背後からでもいいし、とにかくさっさと終わらせよう。
そんなことを思っていると、ちょうど目標の男がやって来た。
元軍属だけあって体格が良い。軍の支給品らしいコートを着込んでいたが、それさえも窮屈そうに見えた。腰のベルトには、ごついアーミーナイフと大型拳銃が挟んである。
驚いた。賞金稼ぎ制度が導入されて以来、銃器に対する規制はいっそう厳しくなった。警察か軍関係者でない限り、所持するだけで厳罰が下される。
そもそも、どこで手に入れたのだろうか。
最近、軍のスキャンダルをチラチラ耳にするが、それと関係あるのかもしれない。
どちらにしても、拳銃を持った相手に正面から挑むのは避けたいところだ。
相手は、こちらに気付いていないようだった。久志は息を殺し、暗い路地裏に身を潜める。
久志がいるのは建物の隙間だ。路地裏の中でも特に暗く、おいそれと発見される恐れはない。
息を殺し、接近に備える。
何も気付かずに、相手はこちらへやって来る。
もう少し。
あと、一歩。
いきなり、久志の携帯電話が鳴り出した。
しまった。
思ったときには、相手はすでに拳銃を構えていた。さすがは元軍属、無駄のない動きだった。
今のことで、こちらの正確な位置をつかまれたようだった。
仕方なく、久志は腰の鞘を引き抜いて、相手の頭目掛けて投げつけた。
轟音が二回。
大型のマグナム弾が、鞘を粉々に砕いていた。
久志は、身を沈めて踏み込む。鞘が砕かれるのとほぼ同時に、相手の足元に飛び込んでいた。
相手の反応は凄まじかった。
銃口が、こちらを向いている。
久志の生存本能が、強烈に彼の体を動かす。
頭をそらし、体が伸び上がる勢いに任せて斬り上げた。ちょうど蛙跳びをやるような、およそ剣術とは思えぬ不細工な動きだった。
轟音。
熱い。
額に、何かがかすめた。
跳躍しきって、今や相手の顔が眼前にあった。
その顔は、顎から脳天まで見事に割られていた。その脳天の上には、今、その切り口をなぞったばかりの自分の刀が、血濡れになって飛んでいた。
勢いに任せて逆手打ちにしたので、慣れない握りに握力がついていかず、刀がすっぱ抜けたらしかった。
久志は、着地に失敗して地面に転がった。その横に、頭の中身を撒き散らしながら、死体が転がり落ちる。
少し遅れて、刀が落下した。
倒れたまま、しばらく動けなかった。銃口がこちらを向いていたのが、目に焼き付いていた。
深呼吸をして、気を紛らす。
それから、ようやく額に手をやった。ぬるりと、血の感触があった。傷口は浅かったが、手で押さえるとドクドクと脈打つのが感じられる。
死ぬかと思った。
ノロノロと、ようやくのことで立ち上がる。自分の足のはずだったが、不自然なほど力が入らなかった。
刀を拾う。
ズシリと重い。
信じられないほどの疲労感があった。
連絡をしようと、携帯電話を取り出した。ディスプレイを見て、ようやく携帯のせいで死の危機に直面したことを思い出す。
さっきの着信は、小夜子からのメールだった。
いつも、仕事中に連絡してくるなとしつこく言ってあるのに、今日に限って何だろう。
右手についた血をジーパンで拭い、携帯電話を操作する。
「終わったら、こっち寄って。よろしこ」
短い文章に、怒りが込み上げてくる。行ってみて、しょうもない用事だったら、怒りはおさまりそうもない。
賞金稼ぎ支援センターに連絡して、すぐに賞金の手続きをする。ついでに、センターの職員が持っていた救急セットで、額の傷を止血してもらう。
血が止まると、少し落ち着きを取り戻した。何か急用かもしれないし、とりあえず小夜子の自宅まで向かうことにした。
車の中は冷蔵庫のような冷たさだった。鞘のなくなった刀は、仕方がないので抜き身のまま後部席に寝かせておく。
まだ頭がチクチクと痛む。
包帯を巻かれた額を少し撫でてから、久志は車のエンジンをかけた。夜の路地を、静かに車が滑り出す。
小夜子の家まではあっという間だった。新西寺の高級住宅地までは三十分とかからなかった。相変わらず金のあるところには金は転がってるもんだ、などと思いながら、門の前に車を停めて電話をかける。
すぐに、小夜子が出てきた。
「あ、何それ。怪我したの?」
車に乗り込むなり、そう言って久志の頭を見る。その服装がちょっと小綺麗だったので、久志は嫌な予感を覚えた。
「どうでもいいから、早く用件を言ってくれ。頭もいてえし、ノンビリしてる暇はねえんだ」
嘘だった。車で走っている間に頭痛は取れていたし、特にやるべきこともない。だが、疲労で体がズシリと重かった。拳銃を向けられた緊張感からか、いつもは考えられないほどに疲れきっていた。
小夜子は、少し困ったような顔をした。
「もしかして、私がメールしたから?」
小夜子は頭の良い少女だ。一瞬で、何が起こったのかを悟ったらしい。いや、もしかしたら久志の声にトゲがあったからかもしれない。
「いや、まあ…電源を入れてた俺の失敗だ」
疲れた声で、呟いた。彼女の言葉を否定する余裕は、今の久志にはなかった。
「ごめん」
消え入りそうな声に、久志はようやく我に返った。隣では、小夜子が大粒の涙をこぼしていた。
「いや、お前のせいじゃねえよ」
「だって、私がメールしたからでしょ?」
「違うって」
「キュウちゃんのこと、追い詰めちゃったんでしょ?」
「大丈夫だから、いいから落ち着けよ」
しばらく、小夜子が泣くのを横目に見ていた。我ながら情けないと思いつつも、かける言葉が見つからなかった。
シートに深くもたれ、細長い溜息を吐き出した。
「ところでさ」
小夜子が落ち着くのを待って、尋ねる。
「何の用だったんだ?」
まあ、服装を見る限り、どっか連れてけってのが当たりだろうけどな。そう思って、いつものあっけらかんとした言葉を待ったが、小夜子は俯くばかりで何も言わなかった。
「どっか行くんだろ?」
答えない。なぜだか、いつもの小夜子とは雰囲気が違うような気がした。さすがに、泣いた後だから気まずいのだろうか。
また、沈黙。
耐えられないのは、久志の方だった。
「いいよ。言えよ」
前を向いたまま、久志はそう言った。沈んだままの小夜子の顔を直視できなかった。
「気晴らしにもなるし、どっか行こうや」
軽く言ってみたつもりだが、それでも答えは返ってこなかった。チラリと液晶のディスプレイを見ると、時刻は二十時になろうとしていた。
今日は一日中張り込みだったので、待つことには慣れっこだ。
「だって」
ようやく、口を開いた。
「こんなつまらないことで、キュウちゃん死にかけたんだって思ったら…」
声は弱々しかった。
「私、なんかさ…」
「大丈夫だよ。こいつはかすり傷だし、俺はそう簡単には死なねえよ」
言葉を遮って、久志は言った。言ってから、ようやく小夜子と目を合わせた。まだ泣いている小夜子の目は、大粒の涙を溜めていて妙に綺麗だった。
「で、つまらないことってのは、何のことだよ?」
小夜子が、一瞬目を逸らした。が、おもむろに、持っていたバッグから何かを取り出した。
「ごめんね。いっつも、色々お世話になってるからと思って…」
忘れていた。
すっかり忘れていた。
今日は、二月の十四日だった。年中行事など、すっかり忘れるような生活をしていた。
小夜子が、泣き顔で小さく笑っている。きっと、俺は今わけのわからない顔をしているんだと久志は思った。
言葉が出なかった。
「ありがとよ」と言いたかったが、照れ臭かった。包みを受け取ったまま固まってしまった。
小夜子は、まだ可笑しそうにしている。
ちょっとは元気が出たらしい。
久志も、どうしていいかわからないままに笑った。
可笑しそうに、ただ笑った。
一時は精神的に参っていた久志だったが、結局は食っていくために賞金稼ぎを再開した。
小夜子が、相変わらず情報をくれる。彼女がどうやって情報を調べているかは知らないが、久志にとってありがたい存在なのは間違いない。
今日も、もらった情報を元にして大物賞金首を待ち伏せ中だ。
ゲロと小便の臭いがする裏路地で、一日中待ちぼうけだ。
賞金額五十万円のことを考えれば、多少のことは屁でもない。
いつもより比較的寒さの穏やかな冬だったが、二月に入ってからは一気に気温も下がり、例年以上の冷え込みを記録していた。
早く来いよなぁ。
四角い寒空を見上げながら、久志はたまらずに愚痴をこぼした。
現れたら、有無も言わさずに斬るつもりでいた。
気付かれて、下手に抵抗されると厄介だ。背後からでもいいし、とにかくさっさと終わらせよう。
そんなことを思っていると、ちょうど目標の男がやって来た。
元軍属だけあって体格が良い。軍の支給品らしいコートを着込んでいたが、それさえも窮屈そうに見えた。腰のベルトには、ごついアーミーナイフと大型拳銃が挟んである。
驚いた。賞金稼ぎ制度が導入されて以来、銃器に対する規制はいっそう厳しくなった。警察か軍関係者でない限り、所持するだけで厳罰が下される。
そもそも、どこで手に入れたのだろうか。
最近、軍のスキャンダルをチラチラ耳にするが、それと関係あるのかもしれない。
どちらにしても、拳銃を持った相手に正面から挑むのは避けたいところだ。
相手は、こちらに気付いていないようだった。久志は息を殺し、暗い路地裏に身を潜める。
久志がいるのは建物の隙間だ。路地裏の中でも特に暗く、おいそれと発見される恐れはない。
息を殺し、接近に備える。
何も気付かずに、相手はこちらへやって来る。
もう少し。
あと、一歩。
いきなり、久志の携帯電話が鳴り出した。
しまった。
思ったときには、相手はすでに拳銃を構えていた。さすがは元軍属、無駄のない動きだった。
今のことで、こちらの正確な位置をつかまれたようだった。
仕方なく、久志は腰の鞘を引き抜いて、相手の頭目掛けて投げつけた。
轟音が二回。
大型のマグナム弾が、鞘を粉々に砕いていた。
久志は、身を沈めて踏み込む。鞘が砕かれるのとほぼ同時に、相手の足元に飛び込んでいた。
相手の反応は凄まじかった。
銃口が、こちらを向いている。
久志の生存本能が、強烈に彼の体を動かす。
頭をそらし、体が伸び上がる勢いに任せて斬り上げた。ちょうど蛙跳びをやるような、およそ剣術とは思えぬ不細工な動きだった。
轟音。
熱い。
額に、何かがかすめた。
跳躍しきって、今や相手の顔が眼前にあった。
その顔は、顎から脳天まで見事に割られていた。その脳天の上には、今、その切り口をなぞったばかりの自分の刀が、血濡れになって飛んでいた。
勢いに任せて逆手打ちにしたので、慣れない握りに握力がついていかず、刀がすっぱ抜けたらしかった。
久志は、着地に失敗して地面に転がった。その横に、頭の中身を撒き散らしながら、死体が転がり落ちる。
少し遅れて、刀が落下した。
倒れたまま、しばらく動けなかった。銃口がこちらを向いていたのが、目に焼き付いていた。
深呼吸をして、気を紛らす。
それから、ようやく額に手をやった。ぬるりと、血の感触があった。傷口は浅かったが、手で押さえるとドクドクと脈打つのが感じられる。
死ぬかと思った。
ノロノロと、ようやくのことで立ち上がる。自分の足のはずだったが、不自然なほど力が入らなかった。
刀を拾う。
ズシリと重い。
信じられないほどの疲労感があった。
連絡をしようと、携帯電話を取り出した。ディスプレイを見て、ようやく携帯のせいで死の危機に直面したことを思い出す。
さっきの着信は、小夜子からのメールだった。
いつも、仕事中に連絡してくるなとしつこく言ってあるのに、今日に限って何だろう。
右手についた血をジーパンで拭い、携帯電話を操作する。
「終わったら、こっち寄って。よろしこ」
短い文章に、怒りが込み上げてくる。行ってみて、しょうもない用事だったら、怒りはおさまりそうもない。
賞金稼ぎ支援センターに連絡して、すぐに賞金の手続きをする。ついでに、センターの職員が持っていた救急セットで、額の傷を止血してもらう。
血が止まると、少し落ち着きを取り戻した。何か急用かもしれないし、とりあえず小夜子の自宅まで向かうことにした。
車の中は冷蔵庫のような冷たさだった。鞘のなくなった刀は、仕方がないので抜き身のまま後部席に寝かせておく。
まだ頭がチクチクと痛む。
包帯を巻かれた額を少し撫でてから、久志は車のエンジンをかけた。夜の路地を、静かに車が滑り出す。
小夜子の家まではあっという間だった。新西寺の高級住宅地までは三十分とかからなかった。相変わらず金のあるところには金は転がってるもんだ、などと思いながら、門の前に車を停めて電話をかける。
すぐに、小夜子が出てきた。
「あ、何それ。怪我したの?」
車に乗り込むなり、そう言って久志の頭を見る。その服装がちょっと小綺麗だったので、久志は嫌な予感を覚えた。
「どうでもいいから、早く用件を言ってくれ。頭もいてえし、ノンビリしてる暇はねえんだ」
嘘だった。車で走っている間に頭痛は取れていたし、特にやるべきこともない。だが、疲労で体がズシリと重かった。拳銃を向けられた緊張感からか、いつもは考えられないほどに疲れきっていた。
小夜子は、少し困ったような顔をした。
「もしかして、私がメールしたから?」
小夜子は頭の良い少女だ。一瞬で、何が起こったのかを悟ったらしい。いや、もしかしたら久志の声にトゲがあったからかもしれない。
「いや、まあ…電源を入れてた俺の失敗だ」
疲れた声で、呟いた。彼女の言葉を否定する余裕は、今の久志にはなかった。
「ごめん」
消え入りそうな声に、久志はようやく我に返った。隣では、小夜子が大粒の涙をこぼしていた。
「いや、お前のせいじゃねえよ」
「だって、私がメールしたからでしょ?」
「違うって」
「キュウちゃんのこと、追い詰めちゃったんでしょ?」
「大丈夫だから、いいから落ち着けよ」
しばらく、小夜子が泣くのを横目に見ていた。我ながら情けないと思いつつも、かける言葉が見つからなかった。
シートに深くもたれ、細長い溜息を吐き出した。
「ところでさ」
小夜子が落ち着くのを待って、尋ねる。
「何の用だったんだ?」
まあ、服装を見る限り、どっか連れてけってのが当たりだろうけどな。そう思って、いつものあっけらかんとした言葉を待ったが、小夜子は俯くばかりで何も言わなかった。
「どっか行くんだろ?」
答えない。なぜだか、いつもの小夜子とは雰囲気が違うような気がした。さすがに、泣いた後だから気まずいのだろうか。
また、沈黙。
耐えられないのは、久志の方だった。
「いいよ。言えよ」
前を向いたまま、久志はそう言った。沈んだままの小夜子の顔を直視できなかった。
「気晴らしにもなるし、どっか行こうや」
軽く言ってみたつもりだが、それでも答えは返ってこなかった。チラリと液晶のディスプレイを見ると、時刻は二十時になろうとしていた。
今日は一日中張り込みだったので、待つことには慣れっこだ。
「だって」
ようやく、口を開いた。
「こんなつまらないことで、キュウちゃん死にかけたんだって思ったら…」
声は弱々しかった。
「私、なんかさ…」
「大丈夫だよ。こいつはかすり傷だし、俺はそう簡単には死なねえよ」
言葉を遮って、久志は言った。言ってから、ようやく小夜子と目を合わせた。まだ泣いている小夜子の目は、大粒の涙を溜めていて妙に綺麗だった。
「で、つまらないことってのは、何のことだよ?」
小夜子が、一瞬目を逸らした。が、おもむろに、持っていたバッグから何かを取り出した。
「ごめんね。いっつも、色々お世話になってるからと思って…」
忘れていた。
すっかり忘れていた。
今日は、二月の十四日だった。年中行事など、すっかり忘れるような生活をしていた。
小夜子が、泣き顔で小さく笑っている。きっと、俺は今わけのわからない顔をしているんだと久志は思った。
言葉が出なかった。
「ありがとよ」と言いたかったが、照れ臭かった。包みを受け取ったまま固まってしまった。
小夜子は、まだ可笑しそうにしている。
ちょっとは元気が出たらしい。
久志も、どうしていいかわからないままに笑った。
可笑しそうに、ただ笑った。