しかし、先輩自身は「俺も昔は営業してたからニコニコしてたけど、いつからかそれがアホらしくなってしまって…」と溜息をついておられました。
確かに私は、普段からニコニコ愛想を振りまくようにしていますが、それは別に性格でもなんでもなくて、露骨なことをいえば仕事のためです。
いつも元気で、ニコニコと愛想がいいと言われますが、そのように演じている部分も少なくありません。基本的には、ネアカで愛想のいい方だとは思いますが、毎日楽しいことばかりではないのは当然です。
いつもニコニコしている人がニコニコしていられるのは、周囲に支えられている面が大きいと私は考えています。
講師をしていた頃、よく生徒に言っていたのは「困ったことや悲しいことは全部俺に吐きだせ。そのかわり、君らは後輩の前ではいつもニコニコして、後輩の困ったことや悲しいことを聞ける人間になれ」ということでした。
誰かに支えられている代わりに、誰かの支えになってやれという意味です。
私は、自分自身は今もそうやって生きているのだと思っています。
月に一度の私的な勉強会や飲み会、会社で仲の良い先輩との食事会、4月から始めようと思っているガンプラを作る会などなど、集まりがあって、そこに集まる仲間に支えられているからこそ、仕事の場面では笑顔を絶やさずに入れるのです。
ずっと笑顔を絶やさずに生きるのはとても難しいことですが、仕事中など場面に応じてニコニコしているくらいなら難しくはありません。自分が誰かに支えられている、楽しみがある、ありがたいという気持ちがあればこそ、笑顔でいられるのです。
逆に、仕事の場面や笑顔が必要な場面で笑えないのは、それだけ支えられるものがないからではないでしょうか?
自分を支えてくれる人との出会いは、自分で作らなければ見付かりません。
今なら、インターネット上でも簡単にそういう機会は見付けられます。自分自身がいて、気持ちの良い場所、そして自分だけでなく参加している人間にとっても気持ちの良い場所を見付けること。それが、いつも笑顔を絶やさずにいきているコツだと思います。
ですから、私がいつもニコニコしていて褒められたとしたら、その半分は私の人徳ではなくて周囲の人間の素晴らしい心遣いと善意の表れなのです。
言わば、私の恵まれた人間関係が、私の表情を通じて表れただけということです。